シゲちゃんと遇えますように!

 昨日は長崎原爆投下から63年が経ちました
ドキュメンタリー番組で小学生の頃被爆し
幼なじみのシゲちゃんを捜している池田さんの番組が放送されていた。
シゲちゃんのおかげで原爆から命拾いをしたが
シゲちゃんは原爆孤児になり、看護師に引き取られその後は
分かりません。
池田さんは事なきを得て、苦しいながらも家族で幸せな暮らしを送る事が出来た。
シゲちゃんと池田さんの違いは何でなのか苦しまれていた。
自分の幸せはシゲちゃんの幸運を自分が得たから、だと悩まれていたとの事でした。
シゲちゃんのその後の人生は苦難だった事でしょう・・
番組で、シゲちゃんに対面できるのを望んでいましたが
残念ながら、遇えませんでした。
しかし、シゲちゃんかも知れない人物のお話を聞くことが出来ました。
非常に評判の良い、優しい人物との事でした
何とか元気で暮らしているかも知れないと、心で感じる事が出来たようです。
シゲちゃんを捜して、是非対面して頂きたいと願います。
私は涙が止まりませんでした
勝手にポロポロ涙が溢れてきます
悲しいような嬉しいような、複雑な涙でした。
小学校低学年の幼なじみ
イメージは小学生のまま
現在は70歳になっているだろう・・幼なじみのシゲちゃん
会ってもシゲちゃんと分からないでしょう
池田さんがシゲちゃんを捜される気持ちは痛いほどわかります
池田さんの心にシゲちゃんは小学生のまま元気で暮らしていて
70歳になったシゲちゃんと再会できれば、今までの心の空白を
満たされるのではないでしょうか。
私にも会いたい幼なじみがあります
小学3年生に引っ越していったタカボー
アルバムには入学式に撮したタカボーとの写真、それが全ての記憶です
胸を反らして自慢げなタカボーと私は横で笑った写真
時々タカボーに会いたいと、ふと感じます。

家族で焼き肉

 昨日、急に思い立ち・・焼き肉屋へ行く事が出来て ヤレヤレ??
昼前に何気なく、家内と話していたら・・
娘も実習が終わり、確か今日のアルバイトも休みとの話なので
そうや! 今日焼き肉や! と私が決断・・(そんな大層な事かいな)
授業中の娘にメール送信
第一報 何時に帰れるか わかれへん・・ 多分遅いと思うわ・・
次は息子に送信
何やら映画を観に出かけている様子で
普段返事が遅い息子が即答で返信アリ
午後には帰るからと 「焼き肉」の効果絶大なり
娘に送信 「遅れても良いからタクシーで焼き肉屋へ直行せよ!」
第二報 絵文字メールで 「何とか間に合うように帰ります」
今度は私の両親に連絡
夕方、焼き肉店で食事の予定なので、出られるように用意をネ・・
ヤレヤレ・・家族で焼き肉の件でメール8回 電話数回
仕事の段取りと・・結構煩雑
夕方6時 焼き肉 ●ん にて、久しぶりの焼き肉の対面と相成りました
タクシー 自転車 徒歩 と現地集合でしたが
満足な雰囲気を感じられ、私も生ビール4杯で大満足の夏の夜でした。
ほろ酔い気分で北京オリンピックの開会式をテレビ鑑賞
遠くで、花火大会なのか・・ドーン ドーン と音が聞こえ
ウトウトしていると、猛烈な雷鳴と閃光
ちょっと猛烈 激烈なカミナリで開会式を祝っているのか・・?
北京の空は大丈夫だったのか・・な?

夢中で読めました 「淵田美津雄自叙伝」

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最近初めて知りました 淵田美津雄 中佐(当時) という名前
太平洋戦争 昭和16年12月8日未明 真珠湾奇襲攻撃の総指揮官
自ら360機の航空機を率いて攻撃し
「トラトラトラ」 (ワレ奇襲ニ成功セリ)の暗号電文を発信し
昭和20年9月2日 「ミズリー」で降伏調印式に立ち会い
戦後の昭和26年キリスト教に回心して平和の伝道者としてアメリカに渡り
故郷の奈良県で1976年73歳の生涯を閉じた人物
生前、自叙伝を書き留められていたのをアメリカ在住の御子息が
保存されていて、昨年出版されました。
作戦に参加されていた本人の説明なので分かりやすいし
参謀として作戦の起案をされていたので、文章は簡単明瞭で気品も良い
ミッドウェー作戦やレイテ湾海戦のモヤモヤが今回初めて霧が晴れた感じです。
淵田美津雄という海軍軍人の目を通して見た太平洋戦争そして戦後の日本。
軍人として生き、戦後は平和の伝道者として二度の人生を歩まれた
久しぶりに、夢中で読めた1冊でした。